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家事代行に関する発表

商品の情報力如何で、シェアの逆転が次々に起こる。 工業社会の段階ではそんなことは起こらない。
情報化社会になると、物的生産力は決定的な差別要因にならない。 大企業と中堅企業の差が逆に少なくなってくる。
規模の大きさ、量の多さで勝負する時代は終わった。 そしてまた、農業も斜陽化するのではなく、情報で蘇っていく。

お米も、ササニシキやコシヒカリ、あるいはひとめぼれやあきたこまちなどのブランド米が生まれてくる。 富山のチューリツープがオランダを抜き、山形のさくらんぼがアメリカに勝つかもしれない。
これはすべて情報力のおかげである。 我々の時代は、りんごは青森、梨は20世紀の鳥取と相場が決まっていた。
しかし、青森も鳥取も先発に甘えて情報の鮮度を高めていない。 イキの良い情報をどんどん入れていった後発の産地に押されてたじたじになっている。
心と体が納得する情報がカギこの情報力というのは、つまるところ個人差であり、したがって年功序列も崩れざるを得ない。 昔のように「米はこう作る」と決まっているならば、従来の経験がものをいう。
そこでは共通の知識や体験、年季に価値があり、年功序列が最適なシステムだった。 しかし、どういう米を作るのか、その情報力が勝負になるとき、情報力の個人差がもろにあらわれてくる。
堺屋太一はこの情報のことをたとえば知価といった。 ドラッカーなら知識と呼ぶだろうが、いずれもその基本は情報である。
もちろん工業社会であっても情報は重要で、年季の入ったベテランの情報が重視されていた。 ただここで大事なことは、工業社会で重視される情報と情報産業社会で高い値段がつく情報がまったく違っているということである。
情報には、スピード、規格、正確さを求める「データ型情報」と、何に役立つのかよくわからないのだが「心と体が喜ぶ情報」がある。 工業社会では「データ型情報」に価値があり、経済が成熟した情報産業社会ではむしろ「心と体が喜ぶ情報」が求められてくる。
「データ型情報」は、データベースや通信機器などの情報機器の発達によって、どんどん値段が安くなる情報であり、「心と体が喜ぶ情報」は逆に価値が高くなってゆく。 いわゆる優等生・ガリ勉タイプは「データ型情報」に強く、「心と体が喜ぶ情報」力に弱い。

くり返すようだが、アメリカ企業は日本にハイテク競争で敗れたのではない。 実際、アメリカのハイテクカはまだまだ日本より強い。
アメリカはむしろハイタッチで負けた。

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